YAMAHAのMSX2 CX7II/M128、本体に内蔵するマルチティンバーFM音源SFG-05、FMミュージック・コンポーザーIIを買った。画面の五線紙に音符が入れられるのはホントに楽だと思ったから。それまでのシーケンサーは文字と記号だけだったから(笑)発売後から金貯めて、買うのに4年かかった(笑)何度も買うのを諦めかけたのだが、今は亡き加藤和彦氏が秋葉原のラジオ会館の中のパソコンショップで一式購入する場面に直面したからだ。
既にAppleのMacintshによる音楽制作が根付き始めた頃。因みにMacintsh一式だと、軽〜く、車一台買える値段だった(笑)なので音楽事務所が会社で購入するケースが多かった。だが、HDDまで買える事務所が少なくて、ステージの裏でFDを何度も何度も入れ換えてたのを忘れはしない、ああMacintosh Plusよー(笑)。
さて、YMOになりたい当時の俺は(今でもなりたい(笑))、今の様にパソコンなど全く知ら無かった。周りにはPC98なヤツもいたが、バンド、バンドできてた俺には未知の領域。担当はキーボードとシーケンサー。当時の液晶画面1行なシーケンサーYAMAHAのQX7はまだまだカセットテープにデータSAVE、LOADしてたなあ(笑)そこで、加藤和彦氏の笑顔に背中を押してもらった感じです。
長女が小学生になった頃だった。小学生になれば手が離れるから。そんなことを周りの年上の人に言われたが、当時は年上の人の言うことなんか全く聞かなかった(笑)あ、今でもだ(笑)やっぱね、何でもそうだけど、同じ目線で話すのがいいなと(笑)いつも間にか、長女の方が入力得意になってきて、バンドスコアの音符の入力を始めたら、スイスイ進む様になった。
秋葉原のジャンク屋で、MSX用のFDDを買った。これで制作環境がかなり変わってきた。何しろ、録音出来るカセットテープ式のウォークマンを使わなくて済むのが物凄く楽で、本当にFDに記録されたのか、わざわざBASICで立ち上げ直してfilesリターンなんてやったもんなぁ。
このFMミュージック・コンポーザーIIの入力にしても最初は分からないとマニュアル、分からないとマニュアルだったので、二曲出来るのに一カ月かかった(笑)すると、いつの間にか長女の方が入力得意になってた。長女の母親は長女を産んで直ぐに亡くなったのだが、二人でやっていけると何度か思った瞬間の一つたった。
ノリのいい曲が好きなので、YMOのTECHNOPOLISとRYDEENを打ち込んだ。TECHNOPOLISはまあなんとかOKだったのだが、RYDEENはCODAの繰り返しでピッコロが出てくる。そこで16分音符の三連符が出てくるのだが、そこで見事にモタついた(⌒-⌒; )(⌒-⌒; )(⌒-⌒; )ホントに冷や汗が出てきた(笑)分かった瞬間、俺がアッと声を上げたら長女も分かって、二人して不安と期待の混じった様な変な表情をしてたみたいだ(笑)
その後、このFMミュージック・コンポーザーIIは二度と使われることが無くなり、、、ゲームマシンとして我が家に君臨する事になる(笑)
「ゲームセンターのゲームが出来るんだって、噂のパソコンって。ウチの音符の機械ってパソコンなの?」と聞いてきた長女。そーだよ。よし、なんか買いに行くか!
秋葉原へ出向くと、どうやら自分でもリストを打ち込んだらゲームが出来るらしい。俺の頭の中はバラ色の明日だった(笑)買ったのは「パロディウス」「上海II」そして中古の「エレベーターアクション」←380円(⌒-⌒; )だった(笑)
世間はまだまだファミコン・ブーム。とりあえず、ファミコンで出てるタイトルを中古で探した探しためちゃくちゃ探した。ファミコンのROMカセットが100円なんかでワゴンセールやってた時代、MSXのはちょっと無かった(笑)デッドストック行きのカセットテープ版のゲームはほとんど定価のまま店に並んでた気がする。まだレンタル屋があったのでバンバン借りてきてたなあ。娘が友達連れてきてはゲームの腕前を披露していて、いつもワイワイと楽しくやってた。娘との二人暮らしはなかなかハードでエキサイティングだったが(笑)、借金する事もなくやがて娘にとって二人目の母親がウチに来る事になる(笑)
そんな娘が今は海外に住み、母親となって元気にやってる(笑)
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